空の労働者、JAL165名不当解雇の闘いに連帯を

~原告団長内田妙子さんインタビュー~

2010年大晦日。世間の多くの人びとは、慌ただしく新年を迎える準備をしながら、ワクワクと心躍らせていたことだろう。そんななか、日本屈指の航空会社、鶴のトレードマークで有名なJAL(日本航空)で働く165名の労働者らは、大晦日に会社からクビを切られた。パイロット81名と客室乗務員84名。長年、誇りと情熱をもって空の安全を守るために仕事に従事してきた彼らは、なぜ、大晦日に仕事を奪われなければならなかったのだろうか。

日本を代表する航空会社JAL。2010年1月19日に経営破綻し、会社更生法の適用を受けることになった。当時のグループ3社合計での負債は2兆3221億円。その後、JALは「事前調整型企業再建」スキームに基づき「短期決戦型」再建を押し進めた。2011年5月18日にJALの発表によると、2010年4月~2011年3月度の営業利益は1884億円と、更生計画の目標を3倍も上回った。2012年には株式を上場し、あっという間に再建を完了させた。

これについて「不採算路線からの撤退や人員削減などのリストラ策が奏功した」と高く評価する声もちらほら(主に経営側から)みられる。そうした声を聞くと、労働者らを大量に整理解雇したことも正しい選択であったかのような印象を受けるのだが、事実は全く異なる。整理解雇の4要件に照らし合わせて考えてみれば、165名の整理解雇は、何の必要性もなく、人選の合理性も、解雇回避義務も、手続の正当性も、何一つ認められないものである(ちなみにJALは165名解雇後の2012年に、客室乗務員を940人名新たに採用している)。

では、なぜ165名の労働者が選ばれたのか。そこには明らかな会社の恣意がある。あえて断言してしまえば、これは特定の少数組合の組合員を狙い撃ちにした解雇である。客室乗務員についていえば、整理解雇の対象者84名のうち71名が、JALのなかにあった7つの組合のうちの一つ、日本航空キャビンクルーユニオン(CCU)の組合員である。

2011年1月19日に不当解雇の撤回と復職を求めて提訴した裁判は異例のスピードで進み、第1審(東京地裁2012年3月29日・30日(パイロットと客室乗務員))、第2審(東京高裁で2014年6月3日・5日(客室乗務員とパイロット))共に、JALの整理解雇を正当であると判断し、原告は全面敗訴した。もちろん上告をしたが、現在は、最高裁が上告を受理するか不受理とするか、その結果を待っている状態である。

筆者は、JALの裁判の結果に対して、怒りはもちろんだが、むしろ驚愕の感情の方が強い。労働者の人生や生活を根底から覆す「解雇」というものが、こんなに簡単に、こんなに恣意的に、こんなにいいかげんに行われていいのだろうか。そして、100歩譲って、仮に原告の訴えを斥けるにしても、それならば、法の番人である裁判所は、これまでの判例法理に誠実に沿いながら、論理整合性のある判決をくだすべきではなかっただろうか。判決文を見ていると、最初から結論が定まっていて、そこに向かうための方便を繰り返しているとしか思われない。そう思えるくらい、本件の判決文は法的論理性に乏しく、JAL(そしてその背後にいる国)に追随したものになっている。

司法制度そのものへの信頼すら揺らいでしまう今回の判決であるが、当事者である原告たちは、今も全国を飛び回り、不当解雇撤回、職場復帰を求め、支援や協力を求め活動する日々を送っている。このたび、この訴訟の原告団長であり、CCUの元委員長である内田妙子さんにインタビューをする機会に恵まれた。JALという巨大企業に立ち向かうなかで、常に前を向きながら仲間と共に闘い続ける彼女は、この訴訟を通して何を思ったのだろうか。

―1審、2審、いずれも原告敗訴になりましたね。

内田妙子さん「そうですね。真面目に長年仕事をしてきた人間がいとも簡単に捨てられてしまったこと。どう考えてもおかしいことが通用してしまいましたし、私たちは、そのおかしさを裁判の場で十二分に立証を尽くしてきましたが、裁判所がそれを曇りのない目できちんと見てくれなかったこと、そして、判断基準である整理解雇の4要件を形骸化させてしまうような判断をくだされたことは、本当に残念です。こんな司法判断がされれば、裁判所への市民の信頼も失われてしまうのではないかと心配になります。」

―いまは最高裁の判断を待つばかりですが…

内田妙子さん「ええ、そうですね。いつ結果がでるかわからないのですが…。私たちは地裁、高裁といずれも負けました。正直にいえば、共に闘ってきた仲間のなかには、この訴訟をきっかけに、人生で多大なダメージを受けた人もいます。解雇後の生活のこと、家族のこと、病気のこと・・・なかには取り返しのつかない傷を受けてしまい苦しんでいる人もいます。裁判闘争というものは、本当に大変です。それでも、最高裁で私たちの主張が認められるならば、私たちは救われます。」

―たしかに、裁判は、個人にとって、労力もお金も精神的な負担も大きいです。ましてや相手が巨大企業であればなおさらですね。

内田妙子さん「ただ私は、ここまで闘ってきたことについて、ただのひとつも後悔はありません。いまのところ、勝訴という結果は得られていないですが、ILOからは2回の勧告が出されましたし、運輸労働者たちの労働組合である ITF(国際運輸労連)の国際的な支援も非常に手厚く、心温まるものです。そして日本国内でも、ナショナルセンターの枠を超えて、全国の様々な労働組合や団体が私たちの訴訟を支援してくれています。こうした連帯の力にどれほど力づけられているか、言葉ではとても言い表せないですね。」

―内田さんは常に先頭で前を向いて、果敢に闘っていらっしゃいますが、その原動力はどこから湧いてくるのでしょうか。

内田妙子さん「相手が巨大企業であっても、おかしいことはおかしい、と声を上げ続けること、それが自分だけでなく同僚のためにも、そして、安全運行のためにも必要だという思いでしょうか。国内外の仲間の強い支援に報いるためにも、闘い続けなければと思います。私がJALに入社して国際線の客室乗務員として働き始めたのは、1974年のことでした。実は、私が組合活動により力を注ぐようになったのは、同期の仲間の死がきっかけなのです。あれは1977年のことでした。クアラルンプールは豪雨でした。そのためにずっと飛行機は着陸ができなかったのですが、そういう場合、近くの他の空港に着陸することができます。しかしJALは、経済性を最優先させる姿勢が強かったので、パイロットは燃料を節約するために他の空港に行くことを選ばず、豪雨が止むのをずっと待っていたんです。しかし結局のところ、雨は全く止まず、次第に燃料が切れてきて、着陸せざるを得なくなってしまって・・・それが大事故につながりました。そこに私の同僚が搭乗していたのです。」

―そんなことがあったのですね。

「ええ、私は、そのときに、会社の経済最優先の姿勢が事故の原因の一つであると強く感じました。そして、そこから労働組合活動に情熱を注ぐようになりました.会社の体質を変えるためには、労働者がなかから声を上げていかなければならないと感じたのです。」

―辛いお話まで率直にしていただき、ありがとうございます。内田さんが1977年に感じた思いが、今につながっていらっしゃるのですね。

内田妙子さん「ええ、今回の裁判では、長年働いてきた勤続年数の長い労働者、高齢の労働者がターゲットにされているのですが、数々の経験を積んできた勤続年数の高い労働者の意義を認めず、ただ人件コストの削減と労働組合の排除という目的しかない会社の姿勢を見ていると、何も変わっていないのだなと思わざるを得ません。そして、だからこそ、闘いを止めてはいけないのだと思います。」

長年空の安全を確保すべく真面目に働いてきた労働者たちをいとも簡単に打ち捨て、経営破綻を口実に労働組合を一掃しようとの狙いのもとで、超スピードで再建を果たし、再び莫大な利益を上げて、日本の顔としての航空会社を作り上げる・・・そういうシナリオで強引に進められている。しかし、そんな形で存続する企業が顔になるべきではない。ましてや、裁判所がそんなシナリオに従うべきではないのだ。

JALの訴訟は、決して当事者だけのものではない。これはすべての労働者に関わることである。私たちは、最高裁判所に対して「曇りのない目」で事実を見つめてほしいと声を大にして訴え続ける必要がある。なぜならば、もし165名の解雇が正しいという司法判断が確定すれば、それは、これまで積み上げてきた労働法における整理解雇法理の自殺とでもいうべき事態になるからだ。「年をとっていて人件費がかかるうえに、労働組合も邪魔だから、この際排除しよう」ということがまかり通るような社会にしてはならない。

※JAL不当解雇撤回裁判原告団 ウェブサイト(英語版)
http://gkd146hp2.wix.com/jalgkd165